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中久喜城編 結城城編
現地レポート 結城の埋蔵金 中久喜城編
 
中久喜城跡と天満宮
  中久喜城
   結城の埋蔵金伝説の舞台の一つである中久喜城に行ってきました。。

   栃木県小山市のJR水戸線に真っ二つにされた古城です。
   結城城主結城晴朝がこの城に隠居したという記録がある。
   豊臣秀吉が養子としていた徳川家康の次男・秀康に結城を継がせることにより、結城氏の財宝を
  狙われていると思い、密かに結城城か中久喜城か会之田城に隠したといわれる。
   結城の埋蔵金は、かの大岡越前も探していることから、埋蔵金の中で信憑性が一番高い。
   中久喜城跡の碑は、下の城郭図の矢印のあたり
  目印?
   165は、埋蔵した後に掘り起こすつもりであれば、何か目印があるはずと考えています。
   埋めた本人が存命ならこのあたりにと、いう手はずになりますが、歳を取ったり、
  子孫へなどと考えるとやっぱり目印でしょう。
   中久喜城は晴朝死後、廃城になっています。

   大正10年の古地図を見ると、本丸内(上記写真の曲輪T)に神社がありました。
   2chに中久喜が好きな人がいたので、ついつい現地を見に行きました。
  矢印のあたりが土塁です。わからないよねw おれもわからんw
  石段発見
   ありました!石段!
   中久喜城が廃城になったのは、慶長6年(1601年)、約420年前にあったかもしれない神社
  が、ちゃんと残っていました。

   味がある倒木っぷり。行く手を阻みます!奥に小さな石の祠が、見えないなw
   手前をご覧くださいw 石畳がちゃんとあります。苔むして、ワクワクします。
   ちなみにこの石の祠は、城郭ファンのページにもありませんでしたので、本邦初公開ですなw
   さすが165と言ってくださいなw
  なんて罰当たりなんでしょう!
   東北震災の影響でしょうか、石灯籠がバラバラに

   ありました。
   祠の前に「中久喜天神」と木のプレートがありましたので、天神様だと信じましょうw
   ここは、中久喜城跡の石碑の真裏の「土塁の上」になります。
   失礼ながらこの程度の石の祠では、地図に神社のマークは付きませんから、憶測ですが、
  元々は曲輪T内(本丸)にあり、何らかの理由で現在の位置に移転されたと思います。
   ただ、165の古地図には、すでにJR水戸線が書かれていますので、線路のために移築した
  とは思えません。
   この土塁の下は大きな空地になっていますので、社殿の老朽化により移築したかもしれません。
  中久喜天神と空堀
   祠を色んな角度から写真を撮ったのですが、
   写っていません・・・。祟りなんでしょうか・・・(汗)
   手前の板は、絵馬ではないけど絵馬でした。
   合格祈願が書かれていました。天満宮ではないので、合格できたかはわかりませんが・・。
   約400年前からある地元の氏神様として、現在もあがめられているのだなぁって、なんだか
  ほっとしました。
   しかし、あれだ。埋めるならココだ!って思った場所の写真が撮れていない・・。
   晴朝の執念なのでしょうか、、続きは、2ch埋蔵金発掘が趣味の人で会いましょう。
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2012 by 165