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中久喜城編 結城城編
現地レポート 結城埋蔵金 結城城編
 
結城城
  結城城
   寿永2年(1183年)、結城朝光により結城城が築城される。
   結城城は、今は公園となっており、どなたでも気軽に訪れることができます。

   往年を忍ばせる土塁や掘などがちょろっとある程度です。
   私が訪れたとき、若い女の子がイヤホンをしながらブランコに揺られ、大きな声で中国語の歌を
  歌っていました。
   異国の地に来て、故郷を思っていたのでしょうか・・・。
   駅前留学のおかげでタガログ語とタイ語、ロシア語には敏感ですが、中国語はわかりません。
  どうしたの?とも聞けずにいたら、しばらくして走り去っていきました。
  結城城の開墾記念碑
   中久喜城もそうですが、結城城の周りは、田んぼだらけです。
   明治・大正・昭和と激動の時代、広大な城跡より食料だったんですね。
   埼玉のさきたま古墳も、天正の時代、石田三成の忍城攻めの際に石田堤の一部になって
  しまいました。
   江戸時代に入ってからも、忍藩による大砲の演習場になっています。
   後世の残すべき価値は、リアルタイムな時代には、その価値がわからないんだと思います。
  聰敏神社(そうびんじんじゃ)
   結城城公園の中にある聰敏神社です。
   鳥居には、文政二年己卯六月(1819年6月)とあります。
   この境内の中の古井戸が、埋蔵金の隠し場所ではないかと言われています。
   元禄13年(1700年)、能登の西谷藩から水野勝長が移封され結城藩主となり、
  その子孫である水野直子爵が、掘ってみたけどダメだったみたいですけどね。
   ただ、聰敏神社には、水野宗家の備後福山藩の初代藩主水野勝成が祭られており、
  掘るのはどうだか?と思うのですが、結城城一帯を調べてみたんでしょう。
  三日月橋
   大正6年(1917年)に水野勝長の子孫である水野直子爵が、掘ったとされる穴の上に
  掛けられた橋です。
   闇雲に手あたり次第ではなく、古井戸跡を掘った結果です。(右の写真の中央が井戸)
   掘り出す気満々で、近所に紅白の餅を配ったりして、かなりオープンにやったみたいです。
   当時は、周囲に露店なども開かれ、にぎわったらしいです。
   発掘作業は約1年間続き、結果は・・・。
金光寺
  金光寺と私のバイク
   真言宗の寺院であり,結城家初代朝光の守り本尊として建立される。
   なお、ご本尊立像は弘法大師の作と言われている。???言われている?
   また、金光寺の山門には「結城の埋蔵金」のありかを示したと言われる歌が刻まれている。
   私が、このお寺を訪ねたのが、今から7年前の2009年。
   当時、この山門に彫られた三種の和歌が、何者かによって削り取られていた。
   住職に聞くと、現在修復中とのこと。あるいみ貴重な状態を見ることができました。
   犬がうるさい。
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2012 by 165