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ここが、謎の銅板に書かれている「上毛赤城原野 字津久田原云フ」の津久田です。
津久田駅よりひとつ手前に敷島駅があり、そこを流れる利根川から埋蔵金を陸揚げしたと伝わっており、津久田原とは赤城町津久田のことを指すのだと言われてます。
ご覧のとおりほとんど水がありませんでした。
畠山清行氏は、その著書「眠ったままの埋蔵金」で、この川にかかる年丸橋近辺が怪しいと書いています。
八重野充弘氏は、自身の著書「謎解き 徳川埋蔵金伝説」の中で、畠山氏は橋の名前を誤り「年丸橋」ではなく「小川田橋が正しい」としています。
さらに、「沼尾川は細いおとなしそうな川だが、増水すればたちまち暴れ川になることだろうし、明らかに河岸を長年にわたって侵食してきたあとが見られる。こういう場所に、兵法を心得ている者が軍用金を埋蔵するなどどいうことがあるだろうか。」と書いています。
165も現地を見ましたが、八重野充弘氏の言うとおりだと思いました。
この本堂の床下から3枚の銅板が発見されたというが、ここに住む女性は、当時のTVインタビューで、そんなものが出たという話は聞いたことがないと答えていました。
165は、その女性に会って話をしたことがあります。
*いまでも年に1回はここを訪れる探索者(金堀りと言っていました)がいる。
*本堂の裏の墓地を調べさせてくれと言われて許可をしたが、掘り返すだけ掘り返して埋め戻さないまま行方をくらました探索者がいた。
建物には結構痛みがありますが、赤城埋蔵金の本に紹介されている建物なので、本物を見た時の感動はひとしおでした。
双永寺の裏手の山にある金山宮への入口。 急な勾配の石段が400段?500段はあってかもしれません。
双永寺の女性の話によると、昔から剣術の練習場所であり、いまでも剣士がお参りをしたり稽古しているそうです。
もしかして、児玉惣平(拡平)が剣術を教えていたのかもしれない。
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