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埋蔵の候補地、埋蔵金と関係があると言われている世良田東照宮です。
関東の方なら東照宮=日光と思い浮かぶでしょうが、東照宮は各地にあります。
ここ世良田東照宮は、徳川家康の先祖と伝わる新田義季が、新田氏の始祖である新田義重から、新田荘の内、当地「世良田」を含め5カ郷を譲り受けたと伝わっています。
新田義季は、5カ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、名を徳川義季と改めました。
寛永21年(1644年)、3代将軍徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓が天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建されたました。
世良田東照宮内におとなりの長楽寺の別院真言院がありました。
家康の命により長楽寺住職となり、当院を再興した天海僧正(慈眼大師)によって、寛永19年(1642年)に作り替えられたものです。
拝殿の奥にある本殿
規模は小さいものの、日光に負けないような彫り物、三つ葉葵が彫り込まれています。
日光東照宮は、元和3年(1617年)創建、こちらは寛永21年(1644年)
飾られている写真の徳川家康像ですが、明治23年に赤城津久田原の井戸跡から発見された720gの純金の家康像と書かれています。720gは、水野智之著「黄金追跡」からの引用だと思われます。
世良田東照宮のホームページに詳しく出ていますのでそちらを御覧ください。
埋蔵金ブームの際に登場した長楽寺
裏山に謎の空洞があって...とテレビで放送されていました。
長楽寺の裏山は、不自然に掘り返されていました。墓地の造営なのか、はたまた..
裏山について、ご住職にお話を聞こうかと思っていましたが、墓地の造成が進んでいて聞くまでもありませんでした。
境内の横にひっそりとある赤城社跡、天海の長楽寺、その横の東照宮、そして赤城社・・・。
ちょっと出来過ぎた感じだが、これを元に調査したTV番組があったのですが思い出せません。
台座の大きさからすると、祠だったと思われます。
開山栄朝禅師が全国を旅していると、牛がこの場所で倒れて石になってしまったと書いてあります。
この石に座って願い事をすると願いが叶うそうですが、凹凸と苔のむし具合から座る気にはなれませんでした。
しかも、倒れた牛は溶解したのでしょうか?とても牛には見えませんでした。
牛石って、いたるところにありますが、なんかの信仰なのでしょうか。
かつて、この石の下を掘った人がいて、私はその人を知っています。
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