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結城の埋蔵金の異説(船玉古墳)
鬼怒川の左岸の河岸段丘上にある円墳
「中央公論」誌上でも取り上げられた船玉の埋蔵金について、畠山清行氏が「日本の埋蔵金 上」の中で異説として取り上げています。
「北海道函館の高橋という漁師が、昭和23年に「船玉の洞窟に宝が埋まっている」と神託を受け、仲間二人と古墳内を掘った。さらに、高橋の身元引受人である平山実という人が、続けて掘ったが何も得られず中止となった。」
畠山清行氏は、「どうしてこんなところを掘ったのか、筆者は理解に苦しむのである。」と締めくくっています。
この古墳の考古学的調査は過去に三回行われており、埋蔵金は出てきていません。
かつて古墳の上に船玉神社があったが2011.311に倒壊。その後更地に。
「隠里の膳椀由来」と称する椀貸の伝説が伝えられています。
昔この岩屋の口に願ひて入用のまひ日膳わん何人まひ御かし被下といのる時は、翌朝取り揃ひ岩の上に出しありしとかや。(中略)
古くはこれを隠里或いは椀貸岩屋と称して居つたのである。
船玉古墳と称して居るがこれはその付近に船玉の祠があるから自然に近頃かく呼ぶようになったのである。
もとは円墳で、八幡神社が設けられたと思ふ。
出典:文学博士 鳥居龍蔵 武蔵野二号(武蔵野会編輯 昭和三年二月一日発行)
畠山氏は、昭和23年に発掘されたと書いてありますが、三百年前に発掘されていたと書かれています。
どんよくのもの有りてかの膳椀を借りて月日たつといふともかへさず。
それより夜なよなをもてに聲(声)あつて、膳わんかへせかへせとよぶこゑきこへども、返す事なかりければ、しだいひに家内おとろいしまひけるゆへその親類のもの恐れをなして當寺に納めすより今什寶となりぬ。又かくれざと享保の始め雨の夜うしみつ頃四五人ひふし能麥(能鼓)つくおときこゆ。いつれにつくやと明くる日を隣を閧ゥにたのしるしなけれど重ての夜此の音をしるべにたづね來れば、かの岩屋のうちなるとかや。今もたまたまをとあつて、此をとを聞くものは、kMはん昌すといひけり。まことに宇賀のみたま、くらいなたまの~れいなるべし。 元禄四年辛未八月十五日
出典:隠里の膳椀由來
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