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徳川埋蔵金、武田埋蔵金、結城埋蔵金と紹介してきましたが、別の埋蔵金の探索状況もできる限りご紹介します。
探索中のため、詳しい場所等はお教えできません。
このほかの場所でも探索を継続中ですが、諸事情により非公開とさせていただきます。
赤城神社は各地に数多くありますが、赤城山とセットの神社は非常に珍しいです。
徳川家公認の赤城山と神社は、世良田東照宮や長楽寺だけではありませんでした。
実はこの場所、歴史上でも非常に重要な地点であるにもかかわらず、まったく注目されていません。
群馬の赤城では、雙永寺の金山宮を埋蔵金の監視場所としていますが、起伏にとんだ広大な赤城原野を山間の寺院から監視できるとは思えません。
ここは寺院の横が赤城山ですので、不審者はすぐ発見されてしまいます。
調査していたら、埋蔵金が埋まっていると教えられた埋蔵金をご紹介します。
某埋蔵金を追跡してたどり着いたお寺(左の石段があるお寺)が起点となり、数キロ離れた右のお堂を発見することができました。
近所の古老の話では、埋蔵金探索者が、祠(左下)の下から金属探知機を使って黄金の大国像を掘り出して持ち帰ったが、それ以来、家内に不幸続いたため、埋蔵金の祟りだとして元の場所に埋め戻したということです。
古老は、こんな寂れたところで発見でしたのは、古文書でも持っていたのではないかと言っていました。
古老も祟りと聞いては掘るわけにもいかず、あるとわかっていて掘れないということでした。
この地域では、「あそこの ぐみの木の下にある」など、埋蔵金の具体的な場所が多く聞けました。
ある山の中に、人知れず小さな石の祠があります。
祠までの参道らしきものはなく、たどり着くためには急斜面を登らなくてはなりませんでした。
なぜこのような山中に石の祠があるのか不思議でならないのですが、埋蔵金を調査した結果、この祠ににたどり着きました。メンバーの話では、この祠の下に宝が埋まっているということです。。
三大埋蔵金である有名な豊臣秀吉の埋蔵金で兵庫県川西市にある多田銀山に遠征しました。
多田銀山と言えば、豊臣秀吉の埋蔵金に生涯をかけた 鈴木盛司氏(2012年、逝去。享年77) を忘れてはなりません。
鈴木盛司氏をよく知る人物に話を聞くと、掘っていた場所は多田銀山でもかなり上の方だったそうです。
発掘開始当初はパトロン数名がいて、順調に作業を進められていましたが、年月とともにパトロンも高齢となり、一人減り二人減りで資金繰りが苦しくなったそうですが、鈴木盛司氏は諦めずに掘り続けていたそうです。
一度お会いしたかったな。
鈴木盛司氏が持っていた古文書と思しきものは、
晩年の秀吉から財宝埋蔵の秘密指令を受けた勘定掛が、経緯をまとめた「幡野三郎光照遺書」 、使われた間歩(坑道)の名前や仕掛けなどを記録した「清水心龍の巻」、埋蔵個所の内部の様子や、軍資金として掘り返した場所を記した「和田二郎光盛秘書」
、埋蔵当時の多田銀山をくわしく描いた絵図数点、などである。(wiki)
このうちの「清水心龍の巻」を猪名川町教育委員会が保管していることがTV番組を通じて判明しましたが、ほかの資料も保管しているのでしょうか。
また猪名川町教育委員会による「清水心龍の巻」の解説では、秀吉の時代に勘定掛という役職はなかった。多田銀山で金は取れない。古文書が和紙ではなく洋紙に書かれているという理由から偽書であるとしています。
徳川埋蔵金出典:NHK ダークサイドミステリー
埼玉県で実際に見つかった埋蔵金
埼玉県西葛飾郡庄和町(現春日部市)西宝珠花の江戸川の川べりで、昭和33年1枚の二朱金が見つかったことが発端で、埋蔵金ブームが起きて江戸川岸は埋蔵金探索者であふれ、実際に1,550枚もの天保小判などが発見されました。
江戸川の堤防の横(埼玉県側)にある宝珠花神社に行ってきました。
宝珠とは、お宝っぽいですが「(船の)帆を干す」が転訛したということでした。
海岸で、金属探知機(2万円と5万円の2台を使用)の性能のテストをしました。
砂の中から、空き缶、空き缶のプルタブ、ネジ・釘が良く見つかります。特にテントの金属ペグ!ペグ大量! サンドペグを知らないのだろうか。
あっという間にコンビニ袋が金属ゴミでいっぱいになります。
ゴミは必ず持ち帰えりましょう。拾ったごみは、ちゃんと燃えないゴミの日に処分しました。
性能テストの結果、2万円と5万円という価格差による性能の違いは見られず、反応があればとにかく掘り返したくなります。
テスト中に気が付いたのが、イヤホンジャックの有無が大事で、2万円の金属探知機に付いていなかったことから、ちびっ子などから声をかけらえる機会が多かったことです。イヤホンジャック付を買いましょう。
軽自動車がやっと進めるような崖沿いの細い山道を奥へ奥へと進んでいくと突然道が行き止まりに。
ふと見ると、森の奥にわずかに赤い鳥居が見えました。
埋蔵金を追って、目的の場所に到着
恐る恐る沢を渡りる。神社に行くのになぜ沢を渡らなければならないのか不思議に思いながら鳥居をくぐると、崩れた石段が上へ上へと続いていました。
草むらの中に苔むした石塔があり、別の場所にも自然に還ろうとしている石塔がありました。
この塔が一体何なのかいつの時代に作られたのかは読み取れませんでした。
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