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寿永2年(1183年)、結城朝光により結城城が築城されました。
結城城は、今は城址公園となっていますので、どなたでも気軽に訪れることができます。
結城城公園の中にある聰敏神社です。鳥居には、文政二年己卯六月(1819年6月)とあります。
神社境内の中の古井戸が埋蔵金の隠し場所ではないかと言われています。
元禄13年(1700年)、能登の西谷藩から水野勝長が移封され結城藩主となり、その子孫である水野直子爵が掘ってみたけどダメでした。
聰敏神社には、水野宗家の備後福山藩の初代藩主水野勝成が祭られています。
ちなみに、水野直氏の日記を国会図書館で見ることができます。
「本日中央新聞夕刊に、結城城跡に二億円埋蔵の記事あり。」大正五年十一月二十一日「本日更に井戸一個発見」十一月月二十二日「岩下夫婦(中略)カメの破片を持ってきた」などと書かれています。
岩下という人物が発掘を担当していたようです。
大正6年(1917年)に水野勝長の子孫である水野直子爵が、埋蔵金を探すために掘ったとされる穴の上に掛けられた橋です。
闇雲に手あたりしだいに掘ったわけではなく、城内の古井戸跡を掘った結果です。(右の写真の中央が井戸)
掘り出す気満々で、近所に紅白の餅を配ったりして、かなりオープンに発掘作業をしました。
当時は、周囲に露店なども開かれ、見物客でにぎわったらしいです。
発掘作業は約1年間続きましたが、埋蔵金は発見されませんでした。
真言宗の寺院であり,結城家初代朝光の守り本尊として建立されました。
ご本尊立像は弘法大師の作と言われていいます。
金光寺の山門には「結城の埋蔵金」のありかを示したと言われる三種の和歌が刻まれていますが、私がこのお寺を訪ねた2009年には、彫られた三種の和歌の一歌が何者かによって削り取られていました。
住職に聞くと、現在修復中とのこと。ある意味貴重な状態を見ることができました。
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