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<徳川埋蔵金>
万延小判
万延元年(1860)2月、製造量666,700両
重さ0.88匁(3.3g)、金含有量56.8%
金が56.8%入っていますので、1.8744gの金が含まれています。
<徳川埋蔵金>
慶長小判
慶長6年(1601)頃、製造量14,727,055両(推定値)
重さ4.76匁(17.85g)、金含有量84.3%〜86.8%
最大で86.8g%の金が入っていますので、15.4938gの金が含まれています
<武田埋蔵金>
甲州金
重さ約5.8匁=約22g、金含有量約82%
左「露一両金」 右「一分金」
<徳川埋蔵金>
法馬金(分銅金)
分銅の形をしており、豊臣秀吉が最初に鋳造し、徳川幕府においても造られた。
大判1,000枚で造られた千枚分銅金(約165kg)、大判2,000枚で造られた2,000枚分銅金(約330kg)の 「大法馬金」と、
重さ375gの「小法馬金」とがあります。
いずれも金含有量96%
小法馬金については、尾張徳川家が所蔵していた300個が、日露戦争前に日本銀行に買い入れられ、現在、貨幣博物館が所蔵しています。
徳川埋蔵金は300万両といわれていますが、小判300万両ではなく、この法馬金を小判換算した300万両だと推察しています。。
<徳川・武田・結城>
竹流し金・棒金 ※画像は、竹流し金
重さ 約26.3匁=約98.6g、金含有量約73% 寸法不明
永禄、天正の頃から豪族・大名達が、軍資金として備蓄したり恩賞用としたもので、竹のような形の鋳型に流し込んで造られたとみられます。 実際に、昭和10年大阪淀川から発見され、大坂城落城の際の遺物とされています。
<徳川埋蔵金・その他>
朱一杯、うるし一杯と伝わっている埋蔵金伝説があります。
貨幣として流通したと思えない朱(硫化水銀)やうるしを埋蔵金として埋めるのにはいささか疑問をいだきます。
埋蔵したのであれば、辰砂の地層を作って目印にしたのではないでしょうか。
うるしは乾燥すると硬化しますので、埋蔵金を埋めた穴のフタに用いたのかもしれません。
徳川埋蔵金を掘っていた人が、朱(赤い)地層が出てきて喜んでいましたので、目指す地点への到達の目標または埋蔵金のフタだと思ったのかもしれません。
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