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犬切峠から一之瀬へ行く林道に入ると、一ノ瀬川に出ます。
臨済宗は、武家に多い宗派なので、武田信玄が城の攻略に用いたといわれる金山衆は、武家という位置づけだったのかもしれません。
畠山清行氏の著書では、二ノ瀬の某という人が、柳沢川と龍喰川の合流する「花魁淵」の近くの山中で、滑落死した高橋修二郎を発見します。
明治時代は、ここから花魁淵(青梅街道方面 一ノ瀬林道)までの道はありませんでした。
新道開通のため、花魁淵へ降りる411号は廃道となり、フェンスで閉鎖されてしまいました。
過去の資料を調べると、真の花魁淵は藤尾橋(画像右)周辺だとわかりました。
花魁淵という名称ではなく、五十五人淵または五十人淵と呼ばれており、花魁のほか僧侶も犠牲になったと書かれていますが、各資料では花魁などが殺されたというのは間違いだと記載されています。
(民衆の伝説 おいらん淵「武田勝頼戦国動乱の蔭に」著者:比留間とくえ)(「玉川泝源日記」著者:山田早苗)(「伝説と怪談」著者:泉昌彦)
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